働きたがる上級国民と働くべき若者達

 働かなくてもいい上級国民が多すぎる。

 働いてほしいのに働かない(働けない)若者が多すぎる。

 ここでは、若者は40代以下としておきたい。上級国民は60代以上であろうか。

 

 わかりやすい例として、「大学」を挙げたい。

 

 大学とは、勉強したい人だけが行くべきだと思う。しかし、いつしか大学=ステイタス=モラトリアム=一定の価値、という「図式」が出来上がってしまい、本来勉強が嫌いで行くべきではない人さえも、高校を卒業したら入学するのが当たり前になっている。保護者も二極化している。あぶく銭を投じている者もいれば、カツカツで奨学金(借金)で子どもを入れている者もいる。勉強が嫌いな子どもを行かせているのは、「図式」のせいである。

 

 彼らが大学に行かないで18歳以上の労働力として社会に出たら、どんなに良いだろう。まず、労働力不足が解消される。ムリして胡散臭いルートで外国人技能実習生など雇わなくてもよくなる。そして、何より、私が強調したいのは、自信がつくということである。いつまでも親が食べさせてあげてもロクなことがない。引きこもりやニートが自己肯定感や自尊心などの精神にどれだけ影響を及ぼすか、既にロスジェネ以降、実証済みであろう。若い頃から得られる納得感や達成感は、親が考える以上に価値のあるものである。大学生のアルバイトで得られるものとは違う。経済的に親から独立する緊張感と責任感は、人を早く大人にする。少子化も解消されるだろう。

 

 一方で、大学で教える上級国民問題もある。一部の本格的に頑張っていらっしゃる方々は、以下に述べること、ご容赦願いたい。

時たま思うことがある。特に勉強が嫌いな学生の多い学校などは、、、大学が、未来の若者のためにあるのではなく、とりあえずあぶれた、大学で教えたい者たちのためにあるのでは?ということである。まさに、労働者のための教育機関。体の良い立場の職をもらい、高給をもらい、、、。

 はっきりいって、このような役職はもういらない。大学なんて半分ぐらいに減らしちゃえば?と切に思う。子どもを持つ親御さんに尋ねたい。今のご時世、いくらでも知識教養が身に着けられる手段があるにもかかわらず、年間100万以上の価値ありますか、、、?と。

 

 

 上記に述べた大学職員をはじめ、天下りした官僚などもこの部類だろう。月に何回か会議に出て何十万・何百万ももらえるのだから。彼らは自らの職を手放したくはないだろう。楽に稼げる商売だから。75歳まで働きたいでしょう。楽だから。

 本来、労働とは大変なものである。肉体を酷使して、ずっと気を抜けない。そのような仕事で体が少しでもつらくなったら、すぐに年金をもらって辞めたくなるはずだ。今時75歳まで働きましょう、と提唱しているのは、上記のような上級国民にすぎない。

 一般国民は、騙されてはいけない。本当に目の前にある仕事が60代以上になってもやってもいい仕事かどうか。

 まあ、でも上級国民も必死なのだろう。特に上級団塊の世代前後の子どもはロストジェネレーション。運良くコネで入社できた者は少数派で、親の威光が通用せず社会から早々に離脱した者のほうが多いだろう。「子どもの分まで(自分の今の地位を利用して)働かねばならない」とは、よく聞いたセリフである。その子どもは親が得たあぶく銭でデイトレーダーしていたり。親がズルして稼いだ金を運用するのが仕事、といっても過言ではない。年収200万の派遣社員の労働対価・強度と比べたら、どうみてもズルでしょう。

 2年前の豪華客船ダイヤモンドプリンセスには、上級国民夫婦や上級国民+40歳前後ロスジェネ(働いてない・家庭築いてない)の組み合わせが多いと世界に知らしめた。今問題になっている、7040問題・8050問題、、、全ては上級国民年金問題のような気がする。親他界後も年金不正受給していたり。そうせざるを得ない年代間格差がある。

 既得権益に対してのデモなど起きないのが不思議。

 まあ、本当に必要でもない機関は早々に消滅していただいて、本当に必要な物なり機関なりを生み出してほしい。「図式」の意識改革にはまだまだ時間がかかりそうだが、、、。